全てが中途半端だと感じたら読む記事




【この記事は約 5 分で読めます】

こんにちは。ベトナム移住HOCです。

ある人から「全てが中途半端に感じてしまう」という相談を受けました。

 

わかる。

すごくわかる。

 

ぼくも過去に

「全てが中途半端に感じてしまう」

という病にかかったことがあるのでぼくなりに出した答えをシェアします。

 

結論から言うと

「全てが中途半端でもいい」

と思ってます。

 

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ちょっと自分の話

少しぼくの話をします。

興味のない人はこの章は読み飛ばして下さい。

 

ぼくも過去に

「全てが中途半端に感じてしまう」

ということがありました。

 

そういう悩みと対峙したとき

ぼくはベトナム住まいで友達も少ないため一人で死ぬほど考えます。

 

どこかで発散して忘れることができないからです。

忘れられないならとりあえず「仮の答え」を出すまで考えます。

眠れない夜を何度も超えます。病みます。

 

しかし「仮の答え」が出たらもう悩みません。

壁かどこかに答えを貼っておきます。

そうしないと同じことを何度も何度もループして考えてしまい

苦しむことを経験したからです

 

ぼくはストレングスファインダーの資質の1位が「内省」でした。

内省という資質を持つ人は、頭脳活動に多くの時間を費やします。

内省的で、自分の頭の中で考えるのが好きで、知的な討論が好きです。

ストレングスファインダーというのは質問に答えていくことで自分の持っている資質がわかるという優れものです。

興味がある人はやってみて下さい。おすすめです。

つまり、ぼくは元々自分の頭の中でものごとを考えるのが好きな性格なんです。

日本でたくさんあった無駄な付き合いが減った結果、ベトナムでは思う存分一人の時間を作れます。

ぼくはその一人の時間を使ってメンタル的な問題の「仮の答え」を出します。

 

人一倍考えてしまう性格なので悩みも多いですが

とりあえず「仮の答え」を出してそれを実践してみる

というやり方で幸せに生活できています。

中途半端でもいい理由

中途半端は道の途中

本題に戻ります。

全部中途半端な気がしてもいいと思う理由は

元より正解なんてないと気付いたからです。

 

野球の大谷選手がいい例です。

当時大谷選手の二刀流について

野手に専念したほうがいい

投手に専念したほうがいい

二刀流でいい

という様々な議論がありました。

でも、明確な答えなんて出せませんよね。

未来のことは誰にもわからないのだから「正解」なんてあるわけがないんです。

 

そしてどの道を選んでも、もし結果がでなければ

「中途半端」だと叩く人がきっと出てきます。

当時は大谷選手の二刀流に批判的な人もいましたよね。

だけど今は誰も中途半端だなんて馬鹿にする人はいません。

 

つまり、正解なんて誰にもわからないし

結果が出るまでの過程の中で中途半端な期間は誰にでもあるということです。

 

大切なことは苦しまないように自分を認めることで

「今は中途半端でもいい」

と思えば気持ちが楽になりませんか。

だって道の途中ですもの。

今は中途半端でもいいんです。

 

矛盾があってもいい

もう一つ。

自分を中途半端だと思う人は「矛盾」を受け入れてください。

例えば過去に「警察官」やっていた。

今は「プログラマー」として活躍したい。

そうすると過去に警察官としてやってきたことが無駄になるし

「警察官」としても「プログラマー」としても中途半端に思えてならない。

また、そんなにやりたいことが変わっていいのかと悩みます。

まわりでは批判する人も出てきます。

 

でも「前に言ってたことと違う!」という批判は無視してください。

話が極端になってしまいますが10年前の自分と今の自分は考え方そのものが違うはずです。

そんなのは当たり前で前の自分より今の自分の方が進化しているんだから

思考が変わっていくのは当然のことなんです。

 

そしてその矛盾は暖かく受け入れてください。

苦しむ必要なんてないんです。

気持ちがギスギスする考えを出来るだけ自分の中に持たないようにする。

答えなんて十人十色であってないようなものなのだから

わざわざ「矛盾はダメ!」なんていう息苦しい答えを採用する必要はありません。

 

核を肯定する国も否定する国もある。

戦争を肯定する国も否定する国もある。

何度も言いますがもとより正解なんてないんです。

どの国も自分たちが「正しい」と思う意見を採用しているだけです。

 

終わりに

もし、北朝鮮が核を捨てると言ったら
 
「前言ったことと矛盾してるじゃないか!」と言いますか?
 
「核を持つと言ったり持たないと言ったり中途半端だな!」と言いますか?
 
言いませんよね。
 
 
 
自分の中でいいと思う矛盾ならあってもいい。
 
ぼくはそう思います。
 
少なくともぼくはそれを認めて心が軽くなりました。
 
 
自分の矛盾や中途半端を認められると、相手に対しても寛容になることができます。
 
ことによっては完全に許せないこともあるかもしれませんが、自分を認められると不思議と他人の行動が気にならなくなる。
 
 
もしも、ぼくの言っていることが腑に落ちず
 
中途半端がどうしても嫌だと感じたら
 
それは具体的な行動を起こすときかもしれません。
 
行動して中途半端だと思うことを1つずつ潰すしていきましょう。
 
 

中途半端や矛盾を許せない人がいることも知っていますので

賛否両論あると思いますがぼくはこの考え方をおすすめします。

 

 
 
 

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4 件のコメント

  • ^^、生きていること自体中途半端なんですから(笑)、ケジメは最後につければいいのだと思います、最後に。

    • 「生きていること自体中途半端」深いなぁ・・・。
      中途半端なのも人生。迷うのも人生。悩むのも人生。
      そういうのを全てひっくるめて人生を謳歌できれば最後に笑えますよね。

  • ブログランキングから来ました。
    他人がいろいろ言っても、責任持ってくれるわけではないので
    自分自身が中途半端を脱するためにこれからどうするかというのが問題なだけで、
    真面目なんですよ。
    いい加減な人はそんなこと考えないと思いますよ。

    • マミーさんコメントありがとうございます。
      たくさんあるアドバイスの中で自分に合ったアドバイスを採用する必要がありますよね。
      マミーさんの言う通り他人は責任を取ってくれませんから。

  • 山口慶太郎 へ返信する コメントをキャンセル

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