自分という人間について考えてみた。




事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。
ニーチェ

Xin chao.
こんにちは、HOCです。

ベトナムに来てから、いやずっと前から。
僕は考えます。

僕は何なんだろうって。

あなたは誰ですか?と聞かれれば
僕はHOCです。と答えます。

しかし、20年前の僕と今の僕は姿、形、考え方すべてが20年前と違います。

考え方だけならこの1年で大きく変わりました。

おそらく一年前の僕の意見に今の僕は同意しません。

そうすると、20年前の僕と今の僕を繋いでいるものはなんなのでしょうか。

同窓会で十数年ぶりにあった人が誰なのかわからないことってありますよね。
そうであったとしても名前を使ってこの人は〇〇だと認識します。

でも名前が自分というわけでもない。

だって親の気まぐれで名前なんてどう変わるかわからかったものだし、自分で名前を変更することだってできるのですから。

他に自分を表す要素は何でしょう。
職業、経歴、肩書、出身地、家系。。。。

職業、経歴、肩書なんて時間の経過とともに変化します。
出身地、家系は違う環境で生まれ育てば違うものになってしまいます。

うーん。難しい。

若いころは遊ぶのが好きでした。
今は勉強が好きです。

勉強する時間が削られたくないから遊びたくないと思うほどです。
人って180度好きなことまで変わってしまうものなんですよね。

時間の経過によって好きな歌手も食べ物も、家族との関係性も、見た目も考え方も全て変わります。

それでいて自分らしくなんて言われても、普遍的な自分を探すことがまず難しい。

自分らしく生きるってどういうことですか?

難しい問いですよね。

答えに近づけた方ご教示願います。

 

一つの職業、一つの生き方、それ以外を認めない人には簡単な問いかもしれません。

ぼくはベトナムに来ていろいろなことにチャレンジしているので

自分らしく生きるということが何なのかわからずパニック状態です。

 

もしかしたら、自分はどんどん変化していて

以前の自分は名前が同じ名だけで、自分じゃないのかもなんて思います。

それでも変わらないものって何なのでしょう。

果たしてこの世に不変なものなどあるのでしょうか?

あの世でこの問いの答えをニーチェやお釈迦様に聞くのを楽しみにしてます。

でわでわ。

 

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どんな愚か者でも他人の短所を指摘することができる。そして愚か者がそれをする。

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