年末。今年も結婚できなかったので、真面目に考えてみる




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年末になると、一年を振り返る時間が増える。

仕事、健康、生活リズム。

だいたいは「まあまあだったな」で終わるのに、なぜか一つだけ毎年引っかかる項目がある。

本当に毎年引っかかる。

今年も、結婚できなかった。

別に今日突然判明した事実じゃないし、
年末になって急に独身になったわけでもない。

それでもカレンダーが12月になると、「あ、今年もか」と静かに突きつけられる(笑)

原因を並べること自体は簡単。
忙しかった、出会いがなかった、タイミングが合わなかった。
どれも間違ってはいないし、言い訳としては優秀。

でも、これは本当に言い訳。
忙しいと言いつつ、ジムに行ってたし、スイッチでシレンもクリアした。

少し哲学っぽく考えてみた。
ソクラテスの「汝自身を知れ」は、言うのは簡単だが、やると地味にしんどい。
なぜなら、自分が信じてきた「私はこういう人間だ」というイメージにツッコミが入るからだ。

私はわりと長い間、「自分は性格がいい方だ」と思ってきたし
今でもそう信じている。

人に迷惑はかけないし、常識もあるし、会話も普通にできる。
誰かを騙そうと思ったこともない。
少なくとも“問題児”ではない。はず。

でも最近思う。
その「性格がいい」という自己評価、誰が決めたんだろうか。

性格が悪くないことと、
一緒に人生を歩みたいと思われることは、別の話だ。

アリストテレスは人間を「社会的な存在」だと言った。
つまり、人は正しさよりも「一緒にいてどう感じるか」で判断される。
理屈が合っているかより、安心できるか、楽しいかの方がずっと重要だ。

パートナーはおそらく正論など求めてはいない。
一緒にいたときの心地よさが重要。

振り返ると、私はわりと見事にこじらせている可能性大。

傷つくのが嫌で、最初から少し距離を取る。
失敗したくないから、無難な態度に逃げる。
「分かってくれる人がいない」と思いながら、
実は自分から踏み込んでいない。

しかも本人はそれを「冷静で大人な判断」だと思っているから厄介だ。
理性という名の慎重さ。

せっかく海外に住んでいるんだからもっとバカになった方がいい。

キルケゴールは「自分であろうとしないことが絶望だ」と言ったらしい。
私は本当の自分でいるより、無難な自分を選び続けてきたのかもしれない。

でも、以前は無難な人生ほどつまらない人生はないって考えてたはず。
ずいぶんつまらない人間になってしまったなと思いつつ、それに気付けたのなら
ここから挽回できるはずとも思う。

結婚できない。
というのは運や縁だけの話ではなく、
自分自身が覚悟を決めきれなかった結果なのだろう。

だって心に強く誓ったことはこれまでの人生割と達成できていたから。

来年こそ、とは軽々しく言わない(いや、きっとどこかで言う)笑
その代わり、まずは「自分は性格がいい」という思い込みを疑ってみる。

年末に自分をぶっ壊す。

 

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