体罰は悪くない。悪いのは・・・




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んにちは。ベトナム移住者HOCです。

 

先ほどツイッターで

父親がゲーム中の息子に「ご飯だよー」って声をかけたら息子が切れて父親を刺殺した

というニュースを見ました。

 

いつからか、子供が親を殺す「親殺し」のニュースが珍しくなくなりました。

なぜにこんな世の中になってしまったのでしょう。

 

守ろうよ父親の威厳

ホアビン君
俺はひっぱかたれて育ったぜ

ホアビン君が言うように以前は体罰が日常茶飯事だったと思います。

体罰が当たり前すぎて「体罰」という言葉がクローズアップされることもありませんでした。

 

家には怖い父親がいて、もしくは学校には怖い先生がいて

そういう大人にシバかれるのが恐くていい子でいるという図式がありました。

 

体罰がある意味、度を過ぎた行為の抑止力になっていたといえるでしょう。

 

少なくとも僕とホアビン君はそうでした。

父親に立ち向かうなんてそれは閻魔様に立ち向かうのと同義で絶対にできなかった。

今回被害者となってしまった父親の威厳はどうだったのでしょう。

 

体罰だけが父親の威厳を示すものではぜったいにありませんが

父親に怖さがあればこの程度で刺し殺されるなんてことはなかったように思います。

息子になめられていたのではないかと推察します。

 

体罰の是非

ぼくは全ての体罰を肯定するわけではありません。

しかし、シバかれることで殴られる痛みを知ります。

殴られることに恐怖します。

殴られた人の「痛み」を想像できるようになります。

殴られたことがない人は「痛み」を想像できない。

それをすっ飛ばしていきなり刃物でブスッていう事件が多いのは「痛み」の想像力の欠如からきてるのではないか

というのがぼくの意見です。

 

とはいえ体罰を無制限に認めると

加減をしらないウンコマン(大人)がイキって子供を殺すほどに殴るなんて事件が絶対増える。

何事も「〇〇過ぎ」は良くないと言います。

食べすぎ、飲みすぎ、寝すぎ

本来必要なことでも度を過ぎれば「害悪」になる。

 

つまり、悪いのは「体罰」そのものではなく

それを扱う人間なのです。

昭和の熱血先生が生徒をぶっ飛ばしながらも

生徒から絶大な人気があったのはなぜでしょうか。

それは愛情が伝わっているからだと思うのです。

 

ぼくはまだ独身ですが、もしもぼくの息子が切れて刃物を持ったらぶっ飛ばしてでも止めて欲しいと思ってます。

しかし、止める側の立場になれば

「無理して止めてあとあと問題になっても嫌だな」

なんて考えてしまうかもしれません。

 

「体罰」という言葉がそもそも良くないですね。

明らかにみんながこの言葉に敏感になり過ぎています。

「愛情ビンタ」とか「闘魂注入」とかにネーミングを変えましょう。

 

現在、日本では

「体罰問題」しかり

「男女平等問題」しかり

「受動喫煙問題」しかり

「ハラスメント問題」しかり

度が行き過ぎてクレームモンスターを生み出してるような気がしてなりません。

いまのJAPANはまともな人ほど息苦しくなって消耗していってませんか?

 

口で言ってもわからない坊やにかるーく「パチン」とやるのまで

「体罰」と呼ばなくていいのです。

それはまともな感覚をもった人なら教育の一環だと理解できるはずです。

一部のモンスターどもが顔を真っ赤にして騒ぐのを相手にしないで頂きたい。

 

はっきり言って

「お前臭いから死ねよ」

かるーく頭を「ゴツン」では

「お前臭いから死ねよ」のほうがはるかに心のダメージはデカい。

 

しかし暴力絶対悪論者はかるーく頭を「ゴツン」にだけ過剰反応することでしょう。

暴力だぁぁ暴力だぁぁぁぁと。

言葉の暴力には寛容な「体罰絶対反対主義者」はみんなバカだと思っています。

 

まとまってないまとめ

結局何を言いたいか考えました。

ぼくは

体罰を認めて欲しいわけではない。

 

 

しかしながら

身体への軽い接触全てを「体罰」と言って騒ぎ立てるモンスターどもが徘徊している

日本の閉塞感やばくないですか?

と問題提起したいのです。

 

教育に関してもSNS上では

「漢文」なんて勉強する意味あるのかとか

そもそも「学校」すらいらないとか様々な意見が飛び交っています。

議論は良いことですが「いらない派」の方たちはいらないだけではなく代替え案を提示して頂きたいですね。

そうしないと批判だけが降ってくる閉塞感JAPANになってしまいそうで本当に未来が恐い。

 

もう何をやっても批判だらけ。

軽いビンタが「体罰だ」に始まり

漢文いらない。微分積分なんて使わないからいらない。

お尻ぺんぺんするしつけもダメ。

タバコもダメ。電子タバコもダメ。

そのうち隣に人がいる場合はニンニクと納豆は食べちゃだめだとか

赤い色の服を着ると攻撃的になるからだめだとか言い出すんじゃないかって怖いです。

とにかく批判に関してはなんでもありです。

 

批判で埋め尽くされた日本はヤバい。

 

もうひとつ言わせてください。

一部の人にしか理解してもらえないかもしれませんが

なんだかんだ体罰が当たり前にあった時代と現代を比べて

現代の方がマシになったとはどうしても思えないのです。

 

ガキんちょに何をされても反撃できない先生。

子どもがどれだけわがままこいても「愛情おしりぺんぺん」すらできない親。

そういうストレスにも似たエネルギーが溜まりに溜まって屈折した形で爆発してるのが現代社会の気がします。

 

子どもの虐待、子殺し、親殺しのニュースなんて逆に増えてます。

児童虐待の件数は26年連続増加しています。

親や先生や近所のおっさんが普通に悪ガキをばっちんばっちんしてた時代よりもさらに。

 

「体罰反対体罰反対」なんて呪文のように大人が繰り返しておきながら

その実、児童虐待の件数は増えているなんて実に滑稽です。

 

これって何事に関しても許容範囲を狭めていった弊害が

少なからずあるのではないかと思ってしまうのですよね。

 

 

話をまとめます。

ぼくは

「体罰」は反対です。

でも

「愛情おしりぺんぺん」

「愛情ビンタ」

は体罰じゃない。

 

 

まあ・・・

言いたいことは言ったし

とりあえず今日は

このまま逝くことにします。

 

 

でわでわ(逃)

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