こんにちは。HOC(@Hoc0088)です。
日本語学校のベトナム人の学生20人に
「3.11は何の日ですか」
と聞きました。
答えられる人は誰もいません。
さらに
「日本人にとって、とても重要な日です」
「悲しいことが起こった日です」
とヒントをあげても答えられません。
日本に興味があって日本語を勉強している学生が知らないとなると
それ以外のベトナム人もほとんど知らないはず。
これから日本に留学に行く学生が東日本大震災について全く知らない。
地震の怖さも津波の怖さも全く知らない。
原発のことも全く知らない。
ぼくは3.11に日本で何があったのか知ってもらうために
YUOTUBEの映像を学生に見てもらいました。
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東日本大震災の説明をした結果
https://www.youtube.com/watch?v=-bcjbNVPB-g&t=9s
この動画と他に津波の動画も見てもらいました。
言葉を失う学生たち。
確かにショッキングな映像もありました。
でも・・・やっと口から出た言葉は
「東京は安全ですか(この学生の留学先が東京)」
え!?
この映像を見た感想がそれ?
実際、感想に正解なんてないし、どう思ってもそれは本人の勝手なのですが
「日本は災害のある危険な国」と伝えたかったわけではありません。
学生に対して説明を加えました。
多くの死者が出たこと
家族を助けようとして自分の命まで失った人もいること
多くの人が帰る家を失ってしまったこと
震災の後、多くの日本人、外国が義援金を寄付してくれたこと
被災者は今も復興のために頑張っていること
日本で増え続けるベトナム人犯罪を見続けてきたぼくの思いとして
単にお金稼ぎの手段として日本に行って欲しくないという気持ちがあります。
それがけっして悪いことではないと知りつつ
せっかく日本に行くのだから日本を好きになってもらいたいし
日本人にもベトナム人を好きになってもらいたいという勝手な思いがある。
お金だけが目的であれば生活がうまくいかなかったとき安易に犯罪行為に走ってしまいます。
つまりは、日本語だけではなく日本のことを良く知ってもらいのです。
その上で日本に来て欲しい。
自分には日本は合わないと思えば中国でも韓国でも近隣に発展した国はありますから。
ベトナムには地震も津波もありません。
そのせいなのか、とにかく反応が薄かった。(単に驚いて絶句していただけかもしれませんが)
映像を見て理解してくださいというのは無理があるのか?
ベトナム中を涙させた日本の少年
ぼくは最後に学生に向けてこの話をしました。
元々YOUTUBEで見つけた話ですがテキストがあるブログで紹介されていたので引用させて頂きます。
東日本大震災直後、福島県に派遣されたひとりの警察官がいた。
彼はベトナム人の両親をもち、日本に生まれ、ヒトのために働きたいと帰化して警察官になった。
その彼が派遣された場所は、福島第一原発か25km離れたある被災地。
震災と原発事故の最も過酷な状況の中で治安確保のための派遣だった。
しかし、治安は安定しており、住民の見回りも機能し、彼は被災者の埋葬と食料分配の手伝いを多忙な職員に代わって行っていた。
被災者と向き合った初日こそ涙を流したものの、余りに酷い惨状に泣くことさえ忘れ、ただ呆然と仕事をこなす毎日となった。
忘れもしない3月16日の夜。
被災者に食料を配る手伝いのため向かった学校で、彼は9歳だという男の子と出会った。
寒い夜だった。
なのに男の子は短パンにTシャツ姿のままで、食料分配の列の一番最後に並んでいた。
気になった彼が話しかけた。
長い列の一番最後にいた少年に夕食が渡るのか心配になったからだ。
少年は警察官の彼にポツリポツリ話を始めた。
少年は体育の時間に津波と地震にあう。
近くで仕事をしていた父が学校に駈けつけようとしてくれた。
しかし、少年の口からは想像を絶する悲しい出来事が語られた。
「父が車ごと津波にのまれるのを学校の窓から見た。海岸に近い自宅にいた母や妹、弟も助かっていないと思う」と話したのだ。
家族の話をする少年は、不安を振り払うかのように顔を振り、にじむ涙を拭いながら声を震わせた。
悔しさと心細さと寒さで・・・ 彼は自分の着ていた警察コートを脱いで少年の体にそっと掛けた。
そして持ってきていた食料パックを男の子に手渡した。
遠慮なく食べてくれるだろうと思っていた彼が目にしたのは、受け取った食料パックを配給用の箱に置きに行った少年の姿だった。
唖然とした彼の眼差しを見つめ返して少年はこう言った。
「ほかの多くの人が僕より、もっとおなかがすいているだろうから・・・」警察官の彼は少年から顔をそらした。
忘れかけていた熱いものがふと湧き上がってきたからだ。
少年に涙を見られないように。
まがりなりにも大学卒で博士号をもち、髪にもしろいものが目立つほどに人生を歩んできた自分が恥ずかしくなるような、人としての道を小さな男の子に教えられるとは。
9歳の男の子、しかも両親をはじめ家族が行方不明で心細いだろう一人の少年が、困難に耐え他人のために思いやれる。
少年の時から他人のために自分が犠牲になることができる日本人は偉大な民族であり、必ずや強く再生するに違いない。
自分の胸の中だけにしまっておくにはあまりにももったいない話だった。
いや、誰かと自分の感動を分かち合いたかった。
彼はベトナムの友人に自分の体験した話を打ち明けた。
ベトナムの友人も感動して祖国の新聞記者に伝えたのだろう。
「Vietbao紙」の記者は次のような記事をのせて、少年と日本を称賛した。
「彼がベトナムの友人に伝えた日本人の人情と強固な意志を象徴する小さな男の子の話に、我々ベトナム人は涙を流さずにはいられなかった。」
「我が国にはこんな子がいるだろうか。」
この記事が大変な反響を呼び、決して裕福とは言えないが、ベトナム国民からの義援金が殺到したという。
悲劇と苦難のもとでも失われない、けなげな日本人の美質と負けない力を、少年の小さな行為から教えられました。
おわりに
授業の終わりに不自然な日本語でもいいから思ったことを言って下さいとお願いすると
家族が津波に飲まれたら助けにいきます。
でも自分も死んじゃうよ?
留学中、東京に地震がきたらどうする?
地震で携帯が使えなくなったらベトナムにいる家族と連絡がとれなくなるかも
家がなくなったらとても悲しい
等、学生が感じたことを言ってくれました。
最初の感想が淡泊だったのは単に感想を日本語で表現できなかっただけなのか・・・。
わざわざベトナム人学生に震災の話をすることについては賛否両論あるかもしれません。
当時はぼくも警察官でした。
自宅に帰ることができたのは震災が発生してから2週間後でした。
勤務は厳しかったですが、被災者や人命救助のために殉職した警察官、友人の気仙沼出身の警察官のことを思うと
音を上げるわけにはいかないと頑張ったのを今でも思い出します。
そういう経験もありこれから日本に住む学生に震災の悲惨さや悲しさを知ってもらいたかった。
最後、学生たちに
「こうやって震災に負けずに頑張ってる人もいると思えば、日本で悪いことはできないでしょう」
と強引につなげてしましましたが
平穏に一日を過ごせること
家族や親族のサポートで日本へ行けること
そういう様々なことへの感謝の気持ちを持って日本へ行ってもらいたいと切に願います。
そして、願わくばぼくの生徒の中からも日本とベトナムの架け橋になるような人材が育ってくれればと思います。
ベトナム語学習者の方へ
参考までに9歳の男の子を紹介したベトナムの新聞のリンクを貼っておきます。
Bài học cảm động từ một cậu bé 9 tuổi ở Nhật