【人と比べる】他人との比較は悪くないと断言できる理由




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まわりの人と比べて自分が劣っていると惨めになったら、その人と自分の違いではなく共通点を探そう。
意外と共通点はある。
共通点が見つかると、自信がわいてくる。

出典[名言] まわりの人と比べて自分が劣っていると惨めになったら、その人と自分の違いではなく共通点を探そう。共通点が見つかると自信がわいてくる[名言コツコツ]

思えば僕は「人と比べるな」ってセリフをずっと言われ続けてきました。

親から先生から友だちから。

 

そうして人と比べるのが「悪」のようなイメージを植え付けられた。

 

でも実際どうなのか。

そんなこと可能ですか?

 

自分一人と70億人を超える他人。

そんな世界で生きていて

人と比べることを脳内から一切排除するのって厳しいと思うのです。

 

例えば

格差、○○ランキング、格付け、成績

という概念は複数のものを比べて意味を成す言葉だと思いませんか。

 

比べることで成立していることがたくさんあるのに

ある部分だけを切り取って「比べなくていい」と言われても

なかなか難しいと思うのです。

 

比べてもいい

自分は自分って考え方が素晴らしく

そして有用であり全員が持てるものなら格差なんかに文句はでないはず。

だって自分は自分なんですから。貧乏でもいいはずなんです。

でも実際はそんな社会にはなっていません。

 

むしろ

「人は人。自分は自分」って言葉は何かを諦めるときに使うことが多くありませんか?

ぼくはどうしても逃げの常套句に感じてしまいます。

 

「人と比べるな」論者は

「自分のことに集中してれば周りは気にならない」とも言います。

 

確かに何かに集中してるときは、そんなこと考えてる余地はないですよ。

サッカーでいざPKを蹴ろうというときに「何であいつの彼女かわいいのに俺の彼女ブスなんだ」なんて考えませんよね。

他人は関係ないと思えるときも確かにある。

 

しかしながら、人間の人生は川の流れのようです。

良い時も悪い時も

幸せな時も不幸な時も

自分のことに没頭できるときもできないときもあります。

 

言いたいのは、いつもどんなときも「人と比べてはいけません」では息苦しいってことです。

自分が不幸なときに幸せな人を羨ましがるのは至極当然のことだと思うんですよね。

 

少なくとも僕は本能レベルでそういう感情があります。

物心ついたときから他人が持ってる物を羨ましく感じてましたもん。

 

逆も然り。

自分が上手くいってないとき、もっと上手くいってない人を見て安心する感情もあります。

「自分も大概だけどあいつに比べればましか」って。

それをいちいち口に出してしまえばただのデリカシーのない人間ですが

内心では少なからずみんなあるんじゃないかと。

 

そういう自然な感情に強引に蓋をして、いいやつぶるのはなんだかなぁ。。。

 

また、「人と比べるな」論者は

「アフリカの子供に比べたらあなたはとても幸せなのよ」とか平気で言っちゃう。

く。。。く。。。比べてるぅぅぅぅん

 

ぼくがクレイジーなだけなのか・・。

時と場合によってですが、他人とガンガン比べていい時もあるんじゃないかと考えます。

例えば僕は負けず嫌いなので誰かとの競争は俄然燃えます。

「こいつだけには負けない」って気持ちが自分を成長させてくれます。

あいつにだってできたんだから自分にだって!というモチベーションに対しても

「人と比べるな」と言いますか?

 

主張したいことは

「人と比べる」こと自体は悪いことではない。ってこと。

理由はそれは自然な感情だから。

 

問題は「比べる比べない」にあるのではなくそれを扱う人にある、というのがぼくの持論です。

「人と比べる」ことでマイナスな影響(どうせ私なんて・・・みたいな卑屈な感情)

しかないのならそれはやめたほうがいいし

誰かと張り合っていい成果が出るのならそれは良い「人と比べる」になりませんか。

 

競争は必然

どの分野にも必ず競争があります。

日本がワールドカップに行けなかったとしてみんな納得しますか?

おそらく納得しない人はたくさんいるでしょう。

いいじゃないですか。日本は日本。

別にワールドカップに行けなくても。

 

でもそうはなりませんよね。

 

他の国と比べて日本と言いう国が勝っていなければワールドカップに行けません。

競争です。

さあ、「人と比べるな」論者のみなさん、すべての国がワールドカップに行けないのはおかしいと声をあげてください。

競争は愚かと言ってください。

 

最近では徒競走やマラソン大会で順位をつけない学校もあるようです。

順位が人と比べるってことになるらしいですね。

本当に愚かしい。

愚王ここに極まれり。

複数で走れば順位が付くのは当然です。それが必然。

自分の弱点に気付くことは必要な経験です。

失敗も必要。

自分が足が遅いとわからないまま大人になってもずっと陸上やってたら

時間がもったいない。別の才能も活かせない。

もし順位を否定するなら試験も通知表も順位をつけるのは止めて頂きたい。

オリンピックにも抗議して欲しい。

東大に希望者全員入れて欲しい。

 

子供に教えるべきは人生においては時に競争も必要だということではないでしょうかね。

社会はそういう風にできていると。

社会人になればどんな席にも限りがあります。

全員が良い会社に就職できるわけもなく、社長になれるわけでもありません。

何らかのことで優劣をつけて限られたパイを取り合います。

 

モンスターペアレントの出現とかそれに従わなきゃいけない風潮はすごく危険な気がします。

本当に止めて。プリーズです。

オリンピックは全員金メダル。ワールドカップも全ての国が優勝。

そんなもの誰も見たくない。

 

もし僕の子供が絶望的に足が遅かったらちゃんと子供と話します。

ビリから一つ上の順位を目指すか。他の活躍できる分野を探すか。

子供が足が速くなりたいと言うなら一緒に練習しますし

他のことに興味があるならそっちの分野を伸ばしてあげれるように教示します。

相対評価で優劣が決まるのは事実。

全員100点じゃその100点に価値はないんです。

 

よくよく考えたらデブも痩せもノッポもチビも相対的な概念です。

そう、僕達が暮らしている現象世界は相対の世界なんです。

それを大人が子供に教えないでどうするんですか。

 

他人が持ってる物を羨ましがったりしたときとか

都合がいいときだけ「他人と比べるな」を引っ張り出してくんな。バカヤロー。

 

 

HOCの体験談

僕が人と比べまくったエピソードがあったので紹介したいのです。

自分も人と比べるし

人も人を比べているという話なのですが

そのことで嫌な思いをしたり得をしたりしました。

 

ベトナムにきた当初、僕はあるIT会社に勤めていました。

当時の給料は10万円。

そこから

家賃が6万5千円。

光熱費5千円

を引くと残り3万円。

バイクもないので毎日の移動に当然お金がかかる。

いくら物価が安いベトナムでもこれはきつい。

 

日本の携帯も持ってきてましたし、日本での税金も払わなくてはなりません。

それでも、周りのベトナム人は僕の半分ももらってないのを知っていたので文句を言わず貯金を切り崩して生活していました。

家賃が高いので落ち着く間もなく引っ越しもしなくてはなりません。

 

そんな苦労を抱えていました。

ところが

私の後に入ってきた日本人の給料は50万(推定)。

家賃補助全額(家賃15万)

月数回自由に日本への出張。(ぼくは日本へ帰れません)

 

この待遇の差で羨ましいと思わなければそれはもう神の領域です。

50万と10万。

もう、こうなると収入の差で彼とは付き合えません。

 

一緒にご飯に行き寿司を食べる。酒を飲む。

会計1万円。

一人5000円。

バカヤロー。。。そ。。。その金はなぁ。。。。うぅ。。

ってなりません?

 

収入が5倍以上も開いた相手とは付き合えない。

お金が原因で話も合わない。立ってるステージ、見ている景色が違い過ぎる。

 

僕がソフトバンクの孫さんとマブダチになんてなれないのです。

 

あるカップルの女性が高収入、男性がニート。

こういうカップルは結局破局しますよね。

女性側は彼氏と他の男、自分の収入と相手の収入を比べますし、男性は男性で自分の収入と相手の収入を比べて卑屈になりますもん。

自分は自分って理屈は自分の中だけでは完結することができません。

仮に自分は比べなくても相手は比べてますから。

 

それでも

「人と比べても何にも解決しない。有益ではない。」ときっと誰かが顔を真っ赤にして言うでしょう。

 

しかし・・・人と比べることが突破口になることもあるのです。

 

 

先ほどの話の続きです。

嫉妬に狂った僕は社長との話し合いました。

結論からいうと僕の給料は15万円になりました。

1.5倍だよ!!

 

僕「この給料の差は何ですか?彼にだけ家賃を払うのはなぜですか?」

社長「彼はお金を運んでくる営業だから。通訳(僕のメインの仕事)は誰でもできる。」

 

 

給料交渉の際、社長は僕と彼との能力差を何度も語りました。

 

社長「あなたは公務員だったから何もできない。彼は営業ができる(と言っている)」

僕「でもね社長。彼がベトナム語を話せますか。

なんて議論を複数回重ねました。

 

営業と通訳なんて比べようもないものを比べて

給料に差をつける。

先ほども言いましたが自分が人と比較しなかったとしても

相手は比べてますから。

 

「人と比べる」論は自分の中だけでは完結できません。

 

 

結果的に社長を説得できましたが、

給料1.5倍を勝ち得たのは、人と比べて自分のベトナム語が優っているとアピールした結果です。

また、営業さんと自分の待遇を比べたからです。

 

自分は自分だなんて考えてたら給料上がるのは1年後だったことでしょう。(その保証もないですが)

 

おわりに

「人と比べない」という理屈で重要なことは人と比べて卑屈になるなってことだと思うんです。

卑屈にならない比較ならば全然悪くないと感じるぼくは

全部が全部「人と比べない」という理屈が正しいとはやっぱり考えられません。

今回は給料アップの突破口を「人と比べること」から勝ち得たわけですし。

 

「人と比べること」というのは

良い「人と比べる」にも悪い「人と比べる」にもなり得るということです。

 

「人と比べること」ことを根っこから否定するのは無理がある。

やはりぼくはそう思います。

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ABOUTこの記事をかいた人

hoc

ベトナムハノイ在住。37歳。独身。 2016年、公務員を辞めてベトナムへ。 資産1億円と自由な生活を目指して奮闘中。