毎日ツイッターに流れてくるツイートを見てると
プロブロガーが会社員をこき下ろしている様子が散見される。
彼らの主張は概ね
「好きなことをやろう!」
「自由になろう!」
「やりたいことをとことんやろう!」
「個性を大事に!」
「発信しよう!」
「信用を得よう!」
的なことに集約される。
それができないサラリーマンはダメだということらしいが
ぼくは
プロブロガーも会社員みたい
と思えてならない。
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プロブロガーも会社員
「自由になろう!」
と言っているブロガーも何かに縛られているのを感じる。
自分より巨大なインフルエンサーの意見には逆らわない。
より影響力がある人の焼きまわしみたいなことしか言わない。
空気を読んでいる。
これがそう感じる主な理由だ。
プロレスでは若手がレジェンドに噛みついて革命を起こしたり
仲間とケンカして明日から敵同士なんてこともあるが
ブログ界はめちゃくちゃやっているように見えてしっかり損得を考えている。
空気を読んでいる。
盲目的にインフルエンサーを信じている人は何も感じないかもしれないが
裏でそろばんはじいて損得計算してるのを気持ち悪く感じる人もいるはずだ。
本当に自分の生き方、意見があってそれを自分の意思で発信しているならば
意見が「右へならえ」になることは不自然だと思う。
例えばインフルエンサーと呼ばれる人は
格上のインフルエンサーに対して
「それは違いますよ○○さん」なんて台詞はまず言わない。
自分の意見と○○さんの意見が違う場合
沈黙するか、都合のいいところだけ乗っかる。
これって会社の上司に逆らえない会社員と同じでしょう。
サラリーマンが上司に逆らえないように
ブロガーはグーグルには逆らえない。
会社に依存する代わりにSNSに依存している。
稼ぎ方もアドセンス、アフェリエイト、サロン、note
みんなとだいたい同じ。
別に本人自身が画期的な何かを生み出してるわけじゃない。
それ自体は悪いことだとは全く思わないが
別にサラリーマンをバカにする必要はない。
ブロガー同士仲良く共存できるなら
その輪にサラリーマンも入れてあげればいい。
そっちのほうがよっぽど素敵だ。
思うに、色々な生き方を認めてあげるのも
自由の一つの形だ。
サラリーマンみたいな生き方はナンセンスと決めつけるのも
もはや何かに縛られている。
サラリーマンがダメだと決めつけることはできない
ベトナムでは日本人的な生き方はあまり価値を持たない。
トレンドや国が変われば
ものごとの判断基準は変わる。
ベトナムでは一方通行を逆走するバイクがたくさんいる。
「安全第一」という価値観はない。
価値観は普遍的なものではないということだ。
つまり、そう思わない人がいる以上どんな理由をもってしても
サラリーマンがダメだと決めつけることはできないのだ。
しかし、ネット上の一部のプロブロガーと言われる人たちの中には
「サラリーマンはダメ」だと決めつけた価値観を持っている者がいる。
根拠として実験や比較によるデータを出す人もいるが
そのデータの取りかたそのものに偏りがある以上
それは完全な理論とは言えない。
データを作るのもデータから判断するのも人間だからだ。
前提が覆れば、答えも覆る。
ベトナムは日本の西にある。
ベトナムはインドの東にある。
同じ国でも見る場所を変えれば見え方が変わる。
コップに半分しか水がない。
コップに半分も水がある。
見る視点によって受ける印象が変わる。
どういう視点で見れば正しいのかに答えはない。
一人一人の感性、性格、生き方が違う中で
絶対にこうだ!
と何かを決めつけることはできない。
それは不確かな前提によって成り立っているものだからだ。
本当は「私はこう思う」という主観しか存在しないはずだ。
「サラリーマンをやってる人はバカにしか見えない」は
あるブロガーから見たときの一つの主観でしかない。
一人で稼ぐという視点からみればプロブロガーは自由だが
SNSに依存したり、本当の意見を言えていないという視点から見れば
プロブロガーも自由ではない。
※ この記事でプロブロガーを批判するのが目的ではありません。
色々な考え方があっていいと思い書きました。
高く登ろうと思うなら、
自分の脚を使うことだ。
高い所へは、
他人によって運ばれてはならない。
人の背中や頭に乗ってはならない。
- ニーチェ -