先日帰国したときに姉の子供に会ってきました。
姉の子供はものすごくいい子だったのですが一つ考えさせられたことがあります。
姉の教育方針が
「子供の気持ちを尊重する」育児方法だったことです。
子供は天使のように素直に育っているので、それ自体を批判するつもりは毛頭ありません。
何をもって「良い子育て」と呼べるかはわかりませんが
子供が素直に育ってくれてるならば、素晴らしい子育てだと思います。
しかし旦那さんの教育方針は
親が主導の教育のようで2つの教育方針は見事に真逆です。
もしぼくが親になったら間違いなく姉の旦那さんと同じく「親が主導の教育」をするでしょう。
では、どちらの教育が子供にとっていいのかと考えました。
ぼくは未婚で子供もいないので、どうか現役のママさんは顔を真っ赤にして怒らないでください。
HOCの戯言です。
「子供の気持ちを尊重する」育児方法で気になったこと
甥っ子の生活を見ていると食べたいときに食べたいものを食べていました。
遊びたいときに遊び、寝たいときに寝ていました。
親の言うことにグズることがない天使のような子でしたが、それはある程度親が言うことを聞いてあげてるからとも言えそうです。
しかし、今後、親以外とのコミュニティに入ったらどうでしょう。小学校とか。
自分以外の子供もいるのだから、我慢も必要です。
いちいち全部の子供の意思を尊重していたら先生はおそらく過労死してしまいます。
親は我が子第一。
保育士や先生は、みんな平等にと考える。
もし子供が我儘を通せると考えていたら、そのギャップに戸惑わないか心配です。
つまり、言いたいのは
「子供の気持ちを尊重する」ことと「なんでも子供の思い通り」ということの
線引きが非常に難しいということです。
子供は「自分の気持ちが尊重されている」なんて感じることはできません。
大人になれば「自分の気持ちが尊重されてきた」ことについて感謝するかもしれませんが
子供のうちは「なんでも自分の思い通りになる」と勘違いしてしまうかもしれません。
まさにHOCがそういう子供で
しつこくすれば親は自分の我儘をきくと理解している悪魔のような子供でしたから。
もう一つ。
「尊重」って耳障りのいい言葉で、どこかの子育てカウンセラーとかが好んで使いそうな言葉です。
でもそれって少し危なくないですか?
子供は何も知らないんです。
無知な子供の意見を尊重しすぎるより、大人が(親が)正しいと思う方向に引っ張ってあげたほうが色々効率的だと思ってしまう。
例えば、ぼくは子供のころ書道と水泳とサッカーを習っていました。
書道と水泳は何のためにやっているのかわからず、嫌々通っていました。
しかしながらその嫌々習っていた習い事がかなり役に立ったのです。
字が上手いと色々得が多い。
今は知りませんが当時学校では水泳の授業はかなりの頻度でありました。
泳げないままだったら水泳の授業は地獄だったでしょう。
無理やりやらされていた水泳が役に立ちました。
サッカーをするときの基礎体力にもなっていたはずです。
もしも「子供の気持ちを尊重する」教育方針なら
好きじゃないことは大成しないという大義名分の元、すぐ辞めさせてもらえていたことでしょう。
将来まで人生を俯瞰して見ることは子供じゃできません。
しかし、親なら将来役立つこと、子供の未来をみることができます。
これが「親が主導の教育」を押す理由です。
そもそもその親の将来を見る目が間違っていることもありそうですが。
そういう意味で親は30代になっても40代になっても勉強は必要で
世の中のトレンド、新しいことを常に知っておく必要がありますね。
子供がアンパンマンにハマり倒しても将来アンパンマン研究家になる確率は非常に低い。
子供が英語を覚えたらどこの国でも働くことができる。
子供の好きなアンパンマンを取り上げる必要は全くないですが(そこから得るものもたくさんある)
英語、IT(プログラミング)、投資を極めていれば、将来お金を稼げる蓋然性は高くなります。
お姉さんは「お金がなくても幸せになれる」とも言っていました。
なのでお金を稼ぐためのスキルを子供に教える必要性を感じていないのでしょう。
全ては子供の気持ちを尊重することが寛容。
それはそうかもしれませんが、ぼくはウシジマくんの
「金が全てじゃねぇが、全てに金が必要だ」というセリフ。
なんかこれが妙にしっくりきていて、子供がいたらこれを理解してもらいたい。
特に男の子には。男にとってお金は戦闘力なんです。
「お金がなくても幸せになれる」っていうのは
子供に「チャオズとして幸せに生きていけ」って言ってるのと同じです。
目指せよ、悟空を!!男なら!!ってことです。
こういう考えは現代日本においては非難されることは知っています。
でも声を大にして言いたい。
一番大切なことは
「親が子に無条件の愛情を注ぐこと」
それさえあれば別に
子供に「お金持ちを目指せ」って言うことになんの抵抗もありません。
それよりも教育方針でケンカするほうが本末転倒。
極論、愛情があれば教育方針なんてどうだっていい。
「親主導の教育」は親の色合いが濃くなってしまい
「子供の気持ちを尊重する教育」とは対極にありますが
「子供の気持ちを尊重する」ってこともある意味親のエゴな気がして問題提起しました。
ぼくは「親主導の教育」を支持しましたが
それはただの方法論であり、本質的には
愛情さえあれば「親主導の教育」だろうが「子供の気持ちを尊重する教育」だろうが
良い教育と呼べるのかもしれません。
以上、HOCのしゃべり場!の時間でした。